PROFILE

こんにちは、まさです。現在28歳です。
2019年から夫婦二人でフルリモートで仕事をするフリーランスエンジニアをしています。
仕事をする時間・場所は全て自由。昨年は夢だった海外生活も実現しました。

一年前の自分では考えられないことです。
なぜなら、当時の僕は、仕事に熱意は無く、毎日なんとなく過ごし、休日は一日中酒を飲みながらYoutubeを見てダラダラ過ごす生活だったからです。

そんな僕が、どうして変わったのか?どうやってこの生活を手に入れたのか?

僕の生まれ〜リモート案件を獲得できるようになるまでの経歴を纏めました。
恥ずかしい過去や言いにくかったこともあります。
今回はリアルな体験談として最大限思いを込めて書いています。

長いと感じる方は、気になるところから読んでいただいて構いません。

これから、リモートワークしたい、フリーランスになりたい、エンジニアになりたいという人が

  • 自分もリモートワークできるかも!
  • こういう勉強すればフリーランスエンジニアになれるんだ!
  • こうやって人脈を作って案件を獲得するのか!

と思うきっかけになれば、嬉しい限りです。

レールに敷かれた人生を歩んできた高校時代まで

1991年8月、3人兄弟の末っ子として生まれました。
実家は田んぼに囲まれ、コンビニまで車で10分かかるほどの田舎でした。

「The末っ子」という環境で育った僕は、見事に、甘えん坊、一人では何もできない、人見知り、という性格に育ちます。
コンビニに一人で行けるようになったのが高校生でした...(恥)

勉強はめっちゃ頑張って中の上くらい、部活も小学生からやってましたが、3年以上継続しない。

恋愛もダメダメ。好きな子がいてもアプローチする方法が分からない。勇気を振り絞ってアタックしても、振られる始末…(泣)

高校1年生の時、ある女の子に一目惚れ。まずは仲良くなって、デートをして、告白。
というステップを全無視して、いきなり告白
なんとかOKしてくれたものの、1ヶ月くらいであっさりフラれてしまいました。。。

当時は「なんでーーーー(泣)!!」と思ってました。しかし今思えば、「当たり前や笑!!」と突っ込みたくなるくらい不器用な性格でした。

地元の高校へ行き、塾で勉強し、地方の国立大学を受験し、合格。
両親や先生に言われるがまま、なんとなく進路を決めてきました。

 遊んだ大学時代前半〜初めて自分で進路を決めた大学時代後半

理系の大学に進んだ僕は、これまでの田舎生活から解き放たれたように、遊びに遊びまくりました。

週7でバイトしたり、友達とモンスターハンターや麻雀に没頭したり、朝まで酒を飲んだり、カラオケをしたり。
そんな生活を続け、気がついたら3年生になっていました。

するといつの間にか、周りから

「最近、どうよ??」

「あー、俺こういう企業目指そうとしててー」

「あそこの説明会行こうと思っててさー」

という声が聞こえてきたんです。

「え、ん、んえ!!???」と最初は理解できませんでした。
そうなんです。就活の時期になっていたんです。
もうやばすぎです。何も準備もしていませんでした。

親からは「これからは安定が大事だから公務員がいいよ。」と言われましたが、どうしても自分に合っているとは思えません。
とりあえず就職するのが嫌という理由で大学院進学を目指すことにしました。

大学院というとカッコよく聞こえるかもしれませんが、理系学生の5割くらいは大学院へ進学していましたし、
就職したくないから大学院へ行こう!という考えだったので、自慢できるものではありません。
しかしなんとか説得し、勉強を頑張って、東京にある大学院への進学が決まったのです。

目的はさておき、初めて自分で人生の選択をしたことは、僕の中で大きな一歩でし

安定思考!残業したくない!を軸に就職活動

大学院生活にようやく慣れてきた頃、すぐに就活が始まりました。
「はやっ!!」って感じですが、ほんとにあっという間でした。

当時、俳優の小栗旬さん主演でIT企業の社長さんを演じたドラマが放送されていたのですが、
その影響をもろに受けまくった僕は「IT企業ってかっくいい〜〜〜〜(キラキラ)」というイメージのみでIT業界へ進むことを決めました。

企業はどういう軸で選ぼうかな?と考えた結果

  • あんまり残業したくない
  • 給料は高い方がいい

という何とも不純な動機で企業を選択。
(今ではもちろん、IT業界が大好きですし、信念を持ってエンジニアをやっています笑!)

そして早めに内定をいただいた企業へ進むことを決めたのです。

下から数えた方が早い成績だった新人研修時代

新人研修では3ヶ月間、Javaと呼ばれる言語の研修を朝から夜までみっちり。
ひたすら講義→演習の繰り返しです。
しかし…講義内容が「全く理解できない…」という状態でした。

テストの成績はめっちゃ悪かったです。文系出身の友達の方が全然点数が高い。という状態でした。
腐っても理系大学院卒だった僕のプライドは無惨にも打ち砕かれました…
「なんとかしよう。授業をしっかり聞こう!」と思ってもやはり分からぬまま、3ヶ月の研修が終了しました。

まさかの!?部署に配属が決まり毎日必死だった新人時代

研修後、部署への配属が決まりました。
なんとそこが、会社でも有数の技術力が高いエンジニアが集まる部署だったのです!!

研修の成績が悪い僕が「うっそーーーーん!!」と驚くばかりでしたが、
後から聞いた話、僕が人事の方と仲が良かったことで、そこを推薦してくれていたようでした。
嬉しい反面「こんな俺が大丈夫か…??やっていけるのか...??」と不安だらけでした。

Javaプログラミングをする仕事が与えられました。現場での初仕事です。
一応、3ヶ月間Javaの研修を受けてきました。
なんとかできるだろうと思い、プログラミングを始めたところ
「マジで、1行も書けない…」と手が止まりました。
変数定義すらまともに書けませんでした。

自分の出来なさに毎日絶望していました。しかし先輩が優しく質問に答えてくれたり、コードレビューをしてくれたおかげで、1年くらいかけて、なんとか自分で機能開発できるようになりました。今でも育ててくれた先輩へ本当に感謝しています。

突然やってきた部署異動・ひたすらExcelでドキュメント作成の仕事

部署に配属されて1年半くらい経ち、少しずつ幅広い仕事を任せてもらえるようになっていました。

そんなある日、課長から話があると呼び出されました。
「部の判断で君は別の部署に異動することになった。」
ショックが大きかったですが、どうすることもできませんでした。

異動先の部署では、Excelを使った資料作成がメインの仕事になりました。
たまに開発をしたとしても、数行だけコードを修正するのみ。

面白くない仕事、良くない雰囲気の職場。

色々なストレスが溜まっていき、仕事以外の時間はお酒やYoutubeで発散する生活になっていました。
仕事終わりにお酒を飲む。金曜日の夜は同僚とお酒を飲む。土日は朝からお酒を飲む。

こんな生活が続き、体調は悪く、体はボロボロになっていました。

理想の生活を求めてフリーランスになることを決意

そんなある日、友達がフリーランスをやっているという話を聞きました。
フリーランスなんて

  • 自分で仕事を取ってこないといけないんじゃないの?
  • 大変そうだな...

というイメージだったのですが、
エージェント(エンジニアの仲介企業)さんに依頼すれば仕事を探してきてくれると知りました。
しかも

  • 月収は上がる
  • 自分のスキル範囲で案件内容は希望できる
  • 残業時間も要望に合った案件を選べる

とのこと。さっそくエージェントさんと面談し、色々話した結果、僕にもできる案件があるらしい!

それを聞いてから1週間で、会社の上司に辞めることを伝えました。

理想に届かなかった常駐フリーランス時代

フリーランスとして企業の面接を2社ほど受け、合格しフリーランス生活が始まりました。
フリーランスと言っても全てリモートワークというわけではなく、多くの方は会社員と同じように通勤し、業務を行っています。

楽しい業務の始まりだ!と思いきや

  • ドキュメント作成の仕事
  • 暇すぎて全く仕事がない

という案件でした。
「全然思ってたんと違うやーーーん!!!」と心の叫びが周りに聞こえるじゃないかと思うほど...

しかし決してエージェントさんや案件が悪いわけではなく

  • 僕がやりたい仕事を明確に考えられていなかった
  • 僕が目指す仕事と違った

からです。ちゃんと考えていなかった僕の責任だと反省しています。

将来に希望はない。
ただ仕事が終わる時間を待つ。
終わったらお酒を飲んで一日が終わる、、という毎日でした

なんとなく見たブログから始まったリモートワーク を目指す勉強の日々

そんなある日、何気なくネットサーフィンをしていたところ、あるブログが目に入ったのです。

  • 自由な場所と時間で生活している
  • Web制作やブログなど、好きなことで稼いでいる
  • 生活費月5万で生活している

「な、なんだってーーーーー!!!」と叫びたくなる気持ちをなんとか抑えつつも、全身が痺れたことを覚えています。

会社から飛んで帰って、僕と同様に常駐フリーランスエンジニアとして働いていた彼女(現妻)に話しました。

まさ
こういう生活してる人がいるんだって!!!これを目指そうと思うんだ!
へーー!すごいねーーー!でも私にできるかなー
きぬ
まさ
俺きぬなら絶対できると思うけどなー
ほんとに!?頑張ってみる!!
きぬ

こうして二人の勉強が始まりました。

すでに仕事でプログラミングなんて1年以上まともにしていませんでした。
さらにHTML,CSS,Ruby,PHPなどWeb系のプログラミング言語の知識は0の状態です。

ProgateやドットインストールでHTMLの基礎の基礎から勉強を始めました。

  • 仕事の合間、仕事終わり、休日を使って勉強
  • 定時になった瞬間、会社を飛び出て、帰宅
  • そこから夕食を食べて、二人で勉強

唯一の楽しみは妻が作ってくれる美味しいお昼のお弁当と夕食、そして少しの雑談の時間でした。
妻がいなければ絶対挫折していたと思います。本当に感謝してもしきれません。

勉強開始から2ヶ月、初案件獲得!!!

勉強開始から2ヶ月。Progateを終え、Webサイトの模写を2つほど完了したくらいでした。
フリーランスとして所属していた案件も契約終了しており、もう後には引けない状態でした。

勉強はいいとして、決定的に僕に不足していたもの・・・それは案件獲得へ向けた行動でした。

  • 何をすればいいか分からない
  • 人脈もない
  • 直営業しようにも、どうも気が重い

そうしてずっと後回しにしていました。

これについて妻と話していた時、神の一言が。

きぬ
そう言えば、知り合いに最近IT企業を立ち上げた社長さんがいるから、話だけ聞きに行ってみようよ!

「んま!まじでーーーーーー!!」
社長さんに、案件獲得方法始め、色んなことが聞けそうだ!!!
妻の人脈のすごい。。。

社長さんとの食事の場にて・・・

まさ
カクカクシカジカな理由でリモートワークを目指してまして!!
きぬ
今こういう勉強をしているんです!!
ふむふむ、なるほどなるほど。
社長さん




色んなことを質問し、絶対何か持ち帰る!!と必死でした。

そして社長さんからとんでもない言葉が。

実は、来月からPHPの案件が始まるんだけど人が足りてないんだ。うちはフルリモート推奨なんだけど良かったら手伝ってくれないかな??
社長さん
まさ
!?やりまっす!!!
きぬ
!?やります!!!

速攻答えました。PHPはもちろん未経験です。Progateでやったくらいです。自信なんてありませんでした。
しかしこんなチャンス2度と来ないと思って掴みにいきました

こうして夫婦二人でPHPの開発プロジェクトに入ることが決まったのです。

勉強しながら仕事する日々・全くタスクが進まず絶望

プロジェクトが始まり、画面や機能作成のタスクが割り振られました。

環境構築はDockerでやって、フレームワークはLaravelを使って、ModelとViewとControllerを作って…
社長さん

と丁寧に説明していただきましたが、全て宇宙語に聞こえました…(泣)

仕事がスタートしてからは、全部一から勉強し、勉強したことをプログラミングしていく、というサイクルでした。

初めの1ヶ月・・・何とか乗り越えました。何よりも、憧れのリモートワーク生活を達成したことでモチベーションが爆上がりしていました。
妻と「いやー、本当にリモートワークできて良かったーーー!」と毎日のように話していました。

2ヶ月、3ヶ月とプロジェクトは進み・・・
PHPやLaravelのスキルは確実についていると実感していました。

しかし、実装する画面や機能も複雑になっていきます。
さらにここで、

フロント画面をVue.jsでも実装しよう!
社長さん

という話がでます。

まさ
び、びゅー!?な、なんですかそれは…!?
  • 必死に調べても分からない
  • 何を調べて良いか分からない
  • 質問しても分からない
  • 仕事がつらい
  • 時間だけが過ぎていく
  • タスクの期限は迫る一方

「早くやらなきゃ!」という思いと「今日も仕事が進まなかったらどうしよう…」という思いが交差し仕事から逃げがちな日が続きました。

タスクが完了しないと報酬はありません。月収が10万円以下の時もありました。

リモートワークだからこそ、日々の仕事は管理されません。全ては自分次第なんです。
リモートワークの厳しさを痛感した時期でした。

こんなつらい時期も、妻や社長さんのおかげで何とか乗り越えることができました。
いらないプライドや完璧主義は全て捨てて、プロジェクトを進めることだけを考えました。

この時期が人間的にとても成長しました。

 

あこがれの海外生活と近づく案件終了

4,5ヶ月目になると、しんどかった時期を乗り越え、タスクを順調にこなしていました。

そしてついに、「海外生活しながらリモートワークしたい!!」という夢を叶えるために動き始めたのです!

東京の家を引き払い、実家に荷物を送り、セブ島へ移住しました!

セブでの生活は刺激的で面白かったです。

  • 生活費は半分以下
  • 温暖な気候
  • 温かい人々

ここでは書き切れないたくさんの出来事があり、人生の価値観が変わりました。
どれだけ日本が恵まれているか、もたくさん知りました。

もちろん仕事もバリバリでした。この時期は1日10時間以上休みなしで仕事をしていました。

セブ生活が1ヶ月経ち、気がつくと・・・案件終了まで残り3ヶ月になっていました。
次の案件の話は0。エンジニアや社長さんとの繋がりも0でした。
「どうしよーーー!!!」と悩みましたが、
もっと早めから動けよ...と自分に言いたくなります...

そこから案件獲得方法をひたすら調べました。

これなら自分でもできそう!!と思った人脈形成方法

  • 営業したことない、できる気しない
  • 交流会へ行くのはちょっと緊張するな…

な僕が色んな情報を調べて、たどりついた人脈作りの方法が・・・Twitterでした。

世の中にはTwitterを通して人脈を作り

  • ブログ
  • Youtube
  • 教材販売
  • note販売

の集客として使っている人がたくさんいることが分かりました。
「これをリモートワークの仕事の集客に応用できるのでは??」と考えたんです。

そこからTwitter運用のブログやnoteを読み漁り、ひたすら実践しました。

Twitter開始から3ヶ月・・・案件獲得へ向けた行動の成果は!?

Twitterを始めてもすぐに上手くいきませんでした。基本何でも最初は上手くいきません。
試行錯誤を繰り返す日々です。

なんとかエンジニアの方やIT企業の社長さんと繋がり、アポを取り、会いに行っていました

そして3ヶ月後・・・

結果的に、フルリモート案件のお話をTwitter経由 or 知り合い経由で計5件いただくことができました!!!
仕事しつつだったので、実際に案件獲得のために動けた期間は1ヶ月ほどです。

人脈作りなど「自分には絶対できない」と心底思っていたので、成果を出すことができ、本当に嬉しかったです。

繋がったエンジニアの方、フリーランスの方、社長さんはみなさん素敵な方でした。
繋がりから仕事をいただくことがこれほど楽しく、面白いものだと気づけたのは、本当に大きな変化です

PHP案件の終了と今後

8ヶ月間続いたPHP案件は2020年3月で終了しました。
未経験ながらフルリモートの仕事をいただけた社長に本当に感謝しています。この案件を通してエンジニアとしても、人間的にも大きく成長できました。

そして、次の案件も本当に楽しみです。たくさんの素敵な方との出会いがあり、これから一緒に仕事ができると思うとワクワクが止まりません。

最後に僕から伝えたいメッセージ

フルリモートやフリーランスはすごい人ができるもの。というイメージを持っている方もいるかもしれません。

しかし僕のように

  • 子供の頃から特に才能があったわけでもない
  • 新人エンジニア時代はダメダメだった
  • フリーランスになったばかりは特に大きな目標はなく過ごしていた

という人でも、今フルリモートで仕事ができるまで成長できました。

今の僕があるのは

  • 一緒に夢を目指す人がいたから
  • 目の前のチャンスに小さな勇気を持って飛び込んだから

です。僕の能力だとはこれっぽっちも思っていません。周りの環境のおかげです。

僕がリモートワークを目指したのは27歳でした。エンジニア4年目の時です。正直もっと早く行動している人はいます。

酒に逃げ、中身が無い生活を送っていたあの頃を何度も悔やみました。
もっと早く目指していれば、今頃もっと…」と。

しかし年齢は関係ありません。何歳になっても人は変われます。今できることを継続すれば、必ずチャンスは巡ってきます

今すぐ変わろう!!とは言いません。人間そんな簡単に変われません。僕がそうだったので痛いほど分かります。
少しずつ、ほんの少しずつ変わっていけば良いんです。

このブログが、そのほんの少し変わるきっかけになれば、嬉しい限りです。

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長い文章、最後までお読みいただきありがとうございました!

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